保育理念

当園は若年層の市外流出の顕著な佐賀県多久市に位置します。いわゆる中山間地域であり、保育園の裏手にはみかん畑が拡がり、県道沿いには小さく区分けさ れた田んぼが拡がっています。田んぼの向こうには牛津川があり、少し歩けば自然公園があります。

 こども園をとりまく豊かな自然の恵みを受けて、私たちはさくら・さくらんぼ保育をしています。

 

自然保育をしている保育園は、大まかに言えば二つに分かれます。

一つは「自然との触れ合いを大切にする保育。」

つまり保育の中に自然を教材として取り入れる保育。

例えば、今日は近くの農家にお願いしてイチゴ狩り 体験。これは楽しいけれど、収穫という良いところだけを切り取った体験です。

もうひとつ染め布体験を例にあげましょう。染料となる木の実をとってきて、布を 自分たちで縛り、染めるならば立派な体験となるでしょうが、あらかじめ用意されたところで、染めるだけでは教材のひとつに過ぎません。

これらは表面的には後述する保育と変わらないように見えるのかもしれません。

お勉強して、自然にも触れて非常にバランスの良いと思う方も多いでしょ う。

私はここに現代人の表層的、広範囲だが平面的、問題と答えが用意されたクイズショー的な知識を求める流れがあるような気がします。

もう一つは自然の中で遊ぶ保育。

子ども達は四季を通して、野道へ繰り出します。四季を通すことで、子ども達は四季折々の実をつける植物を知っていて、「もう少し涼しくなればむかごが生るぞ」と時期を知り、むかごの生る場所を知っています。

今はバッタにかぶと虫、川遊びにカニを捕まえ、蝉の声に耳を傾けます。遊びは季節ごとに変化し、年齢ごとに興味の対象が変わっていき、無限の拡がりを持ちます。

土遊びを見れば、ままごとをしたり、みんなで子ども達が通れる大きなトンネルを作ったり、築山の頂上を掘り、そこにせっせと温水を運び温泉を作ったり、子ども達の想像力で遊びは無限の拡がりを持ちます。

 

私たちは「自然の中で遊ぶ保育」をしています。

子ども達は蜂に注意し、蛇に注意し、猪に注意し、自然は人間に都合の良いことばかりではないこともちゃんと知っています。ここに本当の「知識」があると思います。

「知ってる」では無く「わかった」があると思います。

先日絵本の字面を指でなぞり、子どもに自分で絵本を何冊読んだかを競わせているこども園の様子を見ました。

子どもが自分で1,000冊読んだとうれしそうに話していましたが、これは単に数を求めて達成感を得ているだけで、絵本でなくとも良いわけです。あいうえおの練習帳を10冊書いても同じ感動があるで しょう。

なぜ子どもに絵本が必要なのかを考えていけばわかります。

絵本を自分で何冊読んだという事実はさほど子どもの育ちの役には立たず、何冊の絵本が子ども たちの心に染み入り、子どもたちの心を育ててくれたかを見つめていきたいと思います。

ここにも早急に結果を求め、表層的、短絡的に物事を判断してしまう現 代の風潮を見ます。

絵本の染み入る瞬間は、さまざまな実体験を通してわかったこと、積み重ねてきたことと、絵本作家の思いや願いが重なった瞬間だろうと思います。絵本 を なんとなく覚えていて、実体験が後に来ることもあるでしょう。実体験を通して漠然と感じていたことが、絵本によってストンと心に落ちてくることもあるで しょう。

絵本は読んでもらうのがいいと思います。絵本を読んでもらった場所や匂い、暖かさを子どもたちはぼんやりと覚えています。ぼんやりとして、全てを包み込む暖かい記憶の総量は、その後の子どもたちの支えとなるでしょう。出来る限り毎日読んであげたいものです。

 

家庭文庫(なかよし文庫)を開き、親子読書、文庫活動を続けている山崎翠氏はこのようにおっしゃっています。

「大人は字を読み、子どもは絵を読む」と。

楽しかったこと、夢中になったこと、いっしょうけんめいに向かったこと、うまくいったことやどうしてもうまくいかなかったこと、そのうまくいかな かったこ とと折り合いをつけたこと、そのことを受け入れたこと、その上で自尊心が持てたこと、まわりのみんなが認めてくれたこと、褒めてくれたこと、一人前として 接してくれたこと、本気でケンカしたこと、言い合えたこと、話し合えたこと、尊敬しあえたこと、このような体験、経験が自分の「核」をつくります。目に見 えないところでゆっくりと確実に根を張っていきます。

 

大地に根っこを張りめぐらせた子どもたちは、これから先うまくいかないことや、悲しいこと、苦しむことに遭ったとしても、心の奥底で静かに眠っていたもう一人の自分が目覚め、この子らを力強く支えてくれると思います。